素敵なメガネだと思った?残念、触手生物でした!
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メガネが人生に縁のない人、例えば私とか、にはあまり知られていないが、眼鏡というものは医薬品医療機器等法に基づく、れっきとした医療機器らしい。だから旅行で海に行くときのサングラスを選ぶように、店頭でパパッと買えるものではない。少なくとも、測定やらなんやらで一日がかりになることもある。そのことを知ったのは、夜中にこっそり本を読み続けて目が悪くなり、「愛、小さいときから本ばっかり読んでるし、とうとう目を悪くしたのかしら?」と訝しんだママに近所の眼科に連れて行かれた時だった。
「では、先ほどご説明した宮原さんの検査結果をもとに処方箋を出しておくので、これを持って眼鏡屋さんに行ってメガネを作ってもらってくださいね」
「あっ、はい。ありがとうございます」
椅子に座って軽くお辞儀をする私だが、目の周りに力を入れ、意識しないと眼科の先生の顔はちゃんと見えず、うっすらとぼやけてしまう。これがまた目を凝らさずとも見えるようになるというのだから、医療というものはすごい。遙か昔に生きた、私のように夜中の暗がりでも字を読まずにはいられない本の虫は一体どのようにしていたのか思いを馳せ、私は現代に生きていることと、現代科学の結晶を一般市民に還元してくれている人に内心で感謝した。
それにしても、メガネ。本ばかり読んでいて運動を好まないせいで、目に見えて太っていたりはしないもの、なんだか細っこいしあまり華のある風態ではないことを自覚しているだけに見た目がさらに野暮ったくならないか心配になってしまう。
(野暮ったいし華がないんだよ、お前)
頭に浮かんだ単語がキーワードのように、蓋をしたはずの忘れたい記憶が溢れてくる。無惨に散った、私の初恋の記憶。かき混ぜて記憶と傷を薄れさせるように軽く頭を振って、別のことを考える。
見た目には変化なく視力を取り戻す選択肢で最も有名なのはコンタクトレンズだ。しかし、目薬すら上手にさせない私にはコンタクトレンズの出し入れができるとは到底思えない。しかも、眼科で受けた説明によると、寝る前に外したり、洗浄液を用意したり、ケースがどうのと、細々とやることが多すぎる。自慢ではないし自慢にもならないが、ここ十数年、本を読むこと以外はポンコツで残念極まりないことに定評がある私には、到底向いていない。
レーシック手術は今後の成長や更なる視力悪化の可能性からまだおすすめできない、というのが眼科の先生の言。となれば、選択肢は他にない。ママと話し合ってそう結論を出したのは、やたらグラスが大きくてやたらホイップクリームの乗ったココアを出す喫茶店で、昼食を摂りがてら方針を相談していてのことだった。
目の前に広がる、ぼやけた視界でも分かる圧倒的カロリーと食べ応えの味噌カツパンとサラダ。ちなみに食後にはデザートのスイーツも来る。いくら私が育ち盛りとはいえこんなに食べれば胸焼けに苦しむのに、どうしてママはペロッと平らげてしまうのか。もしかしたら自分はママの子供じゃないのかも……と、胸焼けに誘発された、体調が悪いとき特有の取り止めのないマイナス思考に、メガネに対する抵抗感をミックスしながら、ビーフシチューとパンをちびちびと口に運ぶ。
昼食を済ませ、喫茶店を後にした私とママは電車を乗り継ぎ、次なる目的地である眼鏡店を訪れた。
ささやかな抵抗、と言うほどのものでもないが、選んだのは近所のチェーン店ではなく隣の市にある、おそらく個人経営の眼鏡店。私の数少ない友人である、図書委員と生徒会役員のメガネ女子、計2名から熱烈な支持を得ている眼鏡店だ。かつての私は眼鏡店に支持も不支持もあるものかと不思議に思っていたけれど、行ってみて確かに納得した。お店は広くはないものの、チェーン店に負けず劣らず綺麗で清潔な雰囲気。取り揃えられたフレームも可愛いものや綺麗なものが多く、何よりメガネがよく似合っている店員のお姉さんが、アパレル店員のように初めてのメガネ選びを手伝ってくれる。
驚いたことに、店員さんは私の学校と制服についてもよく知っていた。私の学校の生徒が何人か、ここを行きつけの眼鏡店にしているらしい。話が弾んだ私は、店員さんに私の普段の服装についても説明をし、店員さんは私服と制服のどちらにも似合うだろうと、柘榴のような深い紅色のフレームがレンズを囲う、ウェリントン型と呼ばれるタイプのフレームをお勧めしてくれた。
なぜだろうか。台の上に並べられたフレームに嵌め込まれたレンズは、試着のために嵌め込まれた度無しのダミーなのに、その輝きから目が離せない。レンズが綺麗。フレームが綺麗。煌めく。反射する。心が華やぐ。
ふらり、と台に近づき、なんとなく試着してみて驚いた。メガネはもっと重いものだと思い込んでいたのに、両耳と鼻にかかる重さはほぼ感じられない。目線の高さに備え付けられた鏡に映る自分の見た目もスラリとしていて、メガネなんてかけたら更に野暮ったくなるかも、と思っていた自分の見識の無さを少し恥じた。
自分でも似合っていたと思うし、ママも同意見だった。価格帯もあらかじめ見聞きしていた相場をやや下回るくらいで問題なかったので、購入やらレンズの作成やらをお願いし、なんだかんだでその日の夕方にはそのメガネをかけて帰るに至っていた。
帰りの電車の窓から川の向こうに沈んでいく夕陽を眺めても、ボヤけないし目に負担がかからない。それがなんだか無性に嬉しくて、まるで新しい自分になったみたいだった。
それからメガネのある生活を初めて、大体1ヶ月が経った。メガネをかけ始めてからの相違点は、強いて挙げるほどのものでもない、と思う。なにせ元から目が悪い訳ではなく、後天的に悪くなった以上、この状態が正常なのだ。
——そうしてしばらくしてから、ご主人様が目を覚まされた。
日曜日の朝。先月と一緒で、パパは会社の人と、月に2回のゴルフに。ママは私の眼科やいろいろが無ければ、午後から毎週あるママさんバレーの練習に。私は一人で二度寝を決め込んで昼前ぐらいに起きてから読書。これが我が家、宮原家の標準的かつ典型的日曜日。
そんな昼前の誰もいない我が家で私が目を覚ます。ベッドから体を起こしもせずに腕を伸ばし、ベッドサイドに置いたメガネを手に取る。眠気とわずかに差し込む光でしょぼしょぼとする視界じゃまだ意味はないけど、メガネのつるを耳の裏に引っ掛けて。その瞬間、メガネのつるがばらり、とほどけた。
直接は見えないけど、指の中にあるメガネのつるが、まるでこよった紐が解けるようにバラバラになって、ほどけた感触を頭にフィードバックする。メガネを壊したかと焦って混乱する。眠気が全部ではないけど多少吹き飛んで、メガネを確認しようとした瞬間。
ずぷ。
私の体から、何か今まで聞いたこともないような音が聞こえる。例えるなら、すごく柔らかい耳かき棒を、無遠慮に、無造作に耳の奥深くまで挿し込んだような。
その瞬間、私の体が動きを止める。メガネを外しちゃいけない。なんでか分からないけど、そう感じた。耳に刺さっちゃったなら危ない。危ないから抜いちゃいけない。パニックの中でごちゃごちゃとした思考が、かちりと組み合わさる。ふと、図書委員の仕事で返却された書籍を書架に戻すとき、日本十進分類法と配架ルールの両方に完璧に合致する場所をひと目見ただけで見つけたときのような、そんなぴったり感と心地良さがじんわりと頭に広がる。どう考えてもそれどころじゃないのに、なんだか少し満足感があって、気持ち良い。
ずぷぷぷぷ。
深く、深く、もっと深く。メガネのつるが私の耳の更に奥深くに潜る。驚愕と、混乱と、恐怖がないまぜになったせいか、声が出ない。体も動かない。
つぷり。
音が変わる。柔らかい何かに刺さったような、埋め込んだような音。まるで蓋を剥がしたばかりのカップゼリーに、スプーンを突き立てるような感覚。実際の自分の手の動作ではないのにそれを感じた瞬間、私は頭の中に脳が詰まっていることに思い至り
くちゅ、ぐちゅ、にちゃ、にちゃ
頭の中で火花が走る。ボールが打たれて変形して飛んでいくように、私の頭の中が勢いよくめちゃくちゃになる。何を考えていたのか数秒前のことなんて覚えていられない。なんだかすごく怒りたい。なんだか急に悲しくなる。違う、とっても嬉しい。怖くて仕方がない。思わず悲鳴をあげそうになったけど楽しいから悲鳴なんてあげない。やめて、私が焼き切れちゃう、嫌だ、苦しい。苦しくない。幸せ。幸せ。幸せ、幸せ、幸せ。
一瞬の後、私が落ち着きを取り戻す。起きたばっかりでカーテンも開けてないのに、漏れるように射してくる陽の光で部屋の中が明るくきらきらして見える。行かなきゃ。見えるところへ。私が見えるところへ。大きい鏡のあるところ。お風呂場がいいかな。さっきまでのパニックが嘘のように、私は静かにベッドから起き上がって、しかし小走りでお風呂場へ向かおうとする。
部屋を出た直後、お風呂場に向かいたい気持ちが先走りすぎたせいで、廊下で足がもつれて転んでしまう。咄嗟に頭を庇ったから大きな怪我はしていないけど、腕がちょっと痛い。確かリビングに救急箱があるはずだから手当てしてから
ぐちゅ
腕は『使わない』から痛くても関係ないし、手当ても必要ない。そう判断すると、擦りむいて血の滲む腕から視線を外して、今度は転ばないように早歩きくらいでお風呂場へ向かう。
脱衣所を素通りして、そのままお風呂場へ。パジャマを着たままお風呂場に入るのは変な気分だけど、お風呂に入る訳じゃないから変じゃない。体を洗うときに腰掛ける椅子にちょこんと座って、細長い鏡に映る自分を見つめる。いつも通りの自分と、うねうねと蠢いて私の耳に突き刺さるメガネのつる、メガネが動く、違う。メガネは動かない。蠢かない。私の耳に刺さらない。これはご主人様。待って、ご主人様って?
ぐじゅぐじゅじゅじゅじゅ
耳に突き刺さったご主人様が大きく動いて、私の頭をフラペチーノのストローみたいに掻き回す。一混ぜごとに頭の中で私を潰したりくしゃくしゃにされるのと同時に、ご主人様のレンズの部分が光って、私の目に染み込む。ご主人様が間近で浴びせる光と、鏡の向こうから目に入る光が、まるでやまびこのように何度も何度もご主人様のことと、私のこれからを教えてくれる。
ぴかり、ちかり、ぴかり、ちかり
メガネに擬態しているご主人様。その孕み袋に選ばれた私。繁殖に若いヒトの牝が必要。ヒトの卵は繁殖には使えないけどご主人様のご馳走。卵を食べたらご主人様の卵を産みつける。孕み袋が気持ちよくなると卵が孵る。孕み袋が気持ちよくなると仔が育つ。育った仔は巣に届ける。次の仔を産む。捧げる。私を捧げる。卵子を捧げる。子宮を捧げる。何度も捧げる。他に孕み袋がいたら、それも捧げる。
教えられるのは気持ちいい。私がぐちゃぐちゃにされるのは気持ちいい。従うことは気持ちいい。ご主人様と孕み袋が増えるのは気持ちいい。これからの気持ちいいを期待するのは気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい。気持ちいい。
ご主人様の教えを受け取るうちに、気持ちよくなって力が抜ける。鏡の中の私は椅子に座ったままお風呂場の壁にもたれて、首すら据わってない。気持ちよくて幸せすぎて涙が目尻から溢れ、唇の端からは涎が垂れてるせいで顔はぐしゃぐしゃ。
乳首はパジャマの上からでも分かるくらい尖って自己主張をしてて、小さい胸ながら牝としての主張をしっかりしてる。肝心のおまんこの様子はよく分からないけど、これは力が抜けていつの間にかお漏らしをした結果、ショーツもパジャマもまとめてぐちょぐちょにしてるから。でも、ご主人様がぴかっぴかって輝きを浴びせてくれるたびに、脚が私のものじゃないみたいにぴくぴくかくかく痙攣して、神経を灼き尽くしそうな気持ちよさを伝えてくる。
ぶわぁ。ねちょぉ……
私の「気持ちいい」を読み取って、ご主人様が触手をさらに広げる。メガネの姿に擬態している時はどれだけ体を縮めているのか、もしくはこの瞬間にどれだけ体を伸ばしているのか。今まで耳から私の脳を弄っていた触手がさらに細かく解けて、私の身長くらいの触手が何本も展開される。自分のものかご主人様のものか分からないけど触手は温かそうな粘液で糸を引いていて、細くてもこんなものに襲われたらもう元には戻れないに決まってる。怖い。こんな恐ろしい触手に
ぴかぴかっ。ちかちかっ。
幸せ。こんな雄大なご主人様の触手と一緒なら、何も怖くない。私はこれから使い物にならなくなるまでご主人様と添い遂げる。そう思うだけで、ご主人様は頭の中しか触ってないのに何度も何度も深いところまで気持ちよくなって、潮ともおしっことも分からない液体をさらに激しく漏らしてしまう。
ご主人様が私を真っ直ぐ見てる。ヒトと同じような眼はないけど、透き通ったご主人様の瞳が、私の眼球から1.5cmのところで私を見つめてる。私にもう一度世界と本を見せてくれた、ご主人様の瞳。そのお礼をまだしてなかったことに気づいた私は、感謝の言葉を口に出した。
「弱い私を補っていただきありがとうございます、ご主人様。つまらないものですが、宮原愛の全てを、どうぞ召し上がってください」
そう口にすると、ご主人様の細い触手が数本、正面から私に相対して、唇と髪の毛を撫でる。触手は一本一本が細っこくて風が吹けばなびいてしまいそうなのに、しっかり固さと弾力があって、私の神経をご主人様のカタチをフィードバックする。
ご主人様から撫でられ続けるうちに、一度はおさまった涙がまた溢れてきて、目尻からつーっと伝った。一筋流れてしまえば後は堰が切られたように、幸せの涙がぼろぼろと零れ落ちる。こんな風に頭を撫でてもらったのはいつぶりだったか。こんな風にただただ優しくしてもらったのはいつぶりだったか。こんな風に心から安らげたのはいつぶりだったか。
運動ができない、会話が苦手、本を読んでばかり、野暮ったい、華がない。緩やかに緩やかに、十余年の間私を束縛し、打擲し、陵辱していたヒトの言葉はここには無くて、代わりにご主人様が私を欲して、求めて、必要としてくださるという事実だけがある。言葉なんて必要なくて、ご主人様の触手を介して私たちは分かり合って、伝え合える。
このとき、私は理解できた。これが愛なのだ。これが恋なのだ。我が子が自分達にまるで似なかったことを、一体誰に似たのかと揶揄う両親に、どんな愛だろうと到底抱けるはずがなかった。野暮ったく華がないと面と向かって吐き捨てられ、にべもなくフってきた先輩相手に抱いた初恋なんて、恋に数えるのも烏滸がましい。
私の心がとぷりと満たされて、それ以外の全部が出ていく。ご主人様の心が伝わる。私を欲すると。求めると。必要とすると。しかし、今の私では、まだ孕み袋にはなれない、と。
でも、ご主人様と身体も心も繋がってる私は、何も怖くない。私を立派なご主人様専用孕み袋に作り替えるために、ご主人様が全力を尽くすことが分かっているから。ご主人様の、ご主人様による、ご主人様のための孕み袋。それが新しく産まれ直す、私の在り方。
くちゅっ、くちゅっ、ぐちゅっ、ぐちゅっ
私を撫でていたご主人様の触手が一度離れてから私の耳と鼻に挿入され、ご主人様が脳の中を緻密に、精密に、細密に弄っていく。ついさっきまでご主人様の触手で掻き回されて、ご主人様の輝きで上書きされて、それでもなお脳の中にはまだ前の私がしつこく残っているけど、これはもう要らない。必要なのはご主人様の仔を産むための牝であり、孕み袋。だから今までの私は、「宮原愛」はもう要らない。気持ちいい。私がぐちゃぐちゃになる。気持ちいい。
ちかっ、ちかっ、ぴかっ、ぴかっ
私が消されて壊されていくのと同時に、ご主人様の瞳が輝く。一閃一閃が牝は斯く在れと、孕み袋は斯く在れと、私の脳の空白部分に焼き付けていく。気持ちいい。ご主人様のための孕み袋として産まれ直す。気持ちいい。
こうして私は、晴れてご主人様の孕み袋になった。ついに、ご主人様専用孕み袋に、なれたのです。
人間から孕み袋になったと言っても、目の前の鏡に映っている粘液と体液に塗れたヒトの牝がいきなり人外化生に変化したりする、という訳じゃなくて、ご主人様に耕してもらうためのおまんこが、ご主人様の仔を孕むための子宮が、とくとくと脈打って、ぴりぴりと甘い刺激を脳に送るのが、より鮮明に感じられるようになった、というのが正しいのでしょう。
そして、なぜかは分からないけど、もうヒトの子供は孕めない、ということを分かってしまいました。ご主人様が私を熱烈に求め続けることを、どんなにヒトのオスに交じって暮らしても譲る気がないことを、いつだってご主人様が私と同じ景色を見て、一番近くで私を見つめてくれていることを感じると、堪らなく嬉しくて、幸せで、お風呂場の灯りがさらに明るくキラキラと輝いて見えます。
ご主人様の触手が耳と鼻から引き抜かれます。初めて脳を弄るために耳に挿しこまれた時とは比べ物にならないくらい優しい動き。私と引き抜かれた触手の間に、煌めく粘液の橋がかかっています。初めての時はご主人様も今しかないって慌ててたし、宮原愛なら恐怖と嫌悪でご主人様に手をあげていたかもしれません。だから最初の少し乱暴な脳みそ弄りもしょうがないことですし、今は気持ちよくて幸せだから、それでいいんです。
ご主人様のことで頭がいっぱいになっていると、てらてらと輝く触手が何本も、私のパジャマの中にしゅるしゅると入り込みます。パジャマのV字に開いた襟から。合わせられたボタンの間から。寝心地のためにゴムが緩めに誂えられたズボンの隙間から。
触手のほとんどはパジャマの下に隠されて、私が何をされているかは分かりません。でも、これから何をするかは分かります。私とご主人様の、初めての交換会です。
パジャマの下で歓びを露わにして真っ先に動き始めたのは、私の下半身に張りつく触手でした。差し込まれる触手は決して太くはないものの、パジャマの下でぐちゃぐちゃの下着を器用に掻き分け、私のおまんこにつぷつぷと入っていきます。
脳みそ弄りや輝きを使った孕み袋の仕込みは、どうしてもご主人様の負担と消耗が大きくなります。だからさっきからご主人様は私を労ってくれているのに、衝動的かつ瞬間的に私を滅茶苦茶にしそうになって、さらにまたその直後に私を心配がったりと、その振る舞いは不安定そのものです。もちろん私はご主人様が第一の孕み袋だから何をされても一向に構わないのですが、ご主人様は先に私の卵を食べて、人心地ついてから私に仔を産みつけたいようです。
ご主人様の触手が子宮頸部を通って、子宮に入り込みます。孕み袋になった今も、これらの臓器の役割は変わりません。違いはヒトの子を育てるためではなく、ご主人様の仔を育てるためにあるということ。
そして触手は子宮を越えて、卵管へ。卵管を越えて、卵巣へ。そこで待っているのは、予定日では数日後に排卵を控えた私の卵。宮原愛ならば番いになる雄と交尾して繁殖に役立てることもなく、しばらくすれば棄て去られる卵です。こんなものでもご主人様の役に立てるのは嬉しいことだし、女体の神秘なんてものも、ご主人様の前では気の利いたルームサービスのようなものでしょう。
見えはしないけど、ご主人様が私の成熟した卵胞を食べていくのが感じられます。ご主人様が私の卵によって徐々に活力に満ち、私に向けられていた慈しみが、孕み袋に向けるギラギラとした肉欲へと塗り替えられていくその様は、宮原愛も私も未だ感じたことのない、牝として至上の悦びです。
ぽむっ、ぼむっ、むちちむちゅちゅちゅちゅ
この瞬間。私の全身に絡みつく触手が、まるで風船に電動ポンプで空気を入れたかのように、ご主人様の触手の末端から、耳の後ろにかかる本体まで膨らんでいったのです。ご主人様がメガネに擬態しているときのフレームの柘榴色と同じ色合いでてらてらと光る、牝に仔を産ませるための肉と組織、あるいは臓物。膨らむ触手が私の服を押し退け、私のおまんこを押し拡げ、蕩けきった雌肉がご主人様の来訪を歓迎します。
そして、抽送が始まりました。
ずちゅちゅちゅちゅ、ずちゅちゅちゅちゅ、ずちゅちゅちゅちゅ
一突き一突きのストロークは、宮原愛が自慰に使っていたヒトの交尾の知識と記憶ではあり得ない長さ。私の膣と子宮がご主人様の触手を受け容れれば私のお腹は妊婦のように膨れ、触手が引き抜かれれば私の肉襞が浅ましくご主人様を引き止めようとします。
でも、ご主人様によればこれはまだ準備運動のようなもの。快楽で頭を強かに殴りつけられ、文字通り前後が不覚のままどういうことか意味を問おうとしたとき、ご主人様の触手がさっきよりも深く深く、その殆どが私の胎内に納められて、思わず息を飲みました。
じゅくじゅくじゅくじゅくじゅくじゅくじゅくじゅく
そして、その息が正常な呼吸の一過程として吐き出されることはありませんでした。私の胎内を埋め尽くしたご主人様の触手が、小刻みに動いて私の胎内をブラッシングするように擦り上げ始めたのです。元々灼き切れかけていた私の精神の一部が発火し、叫び出しそうになります。
この瞬間、私はこれが人間同士の交尾でも、他の畜生との交尾でも絶対に得られない、ご主人様の孕み袋だけが享受できる、あらゆる牝が受け取る中で至福の悦びであることに思い知らされます。胎内で与えられる刺激がまとめて脳に、快楽だけを処理するための器官に叩き込まれ、快感の感じている箇所で女の子の大事なところを図解されているような気分に気づくと、脳みそは感謝と幸福をぷしゃぁあと噴き出し、叫び声は震えてぶつぶつとした喘ぎ声の垂れ流しになります。お風呂場で叫ぶとうるさいですからね。ご主人様の配慮です。
ご主人様の触手が、私の膣で、子宮頚で、子宮で。ぞりぞりざわざわと蠢き、擦り、震えるたびに、人間には過ぎた気持ちよさを与えてくれます。孕み袋が気持ちよくなることで卵を孵らせ、仔を育てるご主人様にとって、孕み袋が気持ちよくなることは第一に必要なことです。いつ何時、どこであってもご主人様の卵を受け容れ、仔を産み育てるように、脳に続いてご主人様が弄る場所。それが私の身体であることを理解した瞬間、私の意識はぷつりと途切れました。
目が覚めると、私はお風呂場の床にうつ伏せでお尻を突き上げた、交尾中の牝犬のような格好で転がっていました。全身頭の先から爪先まで生温い液体に塗れていて、それが私の全身から噴き出したありとあらゆる液体と、ご主人様の粘液がミックスされた産物であることは、匂いですぐに理解できました。
お風呂場の鏡には私のあられもない姿と、孕み袋として使えるように私を耕し終えたご主人様が映っています。私を耕すのに不便だったのでしょう。私とご主人様から出るありとあらゆる液体を吸って雑巾のようになったパジャマのズボンは足首まで下げられ、足輪のようにして私の行動の自由を奪っています。
おまんこに突き立てられたご主人様の触手の中程にはさっきまでなかった大きめの肉瘤があります。ご主人様の教えてくれる瘤の正体と、私に書き込まれた瘤についての知識が頭の中で同時に語りかけてきます。あれがご主人様の卵。私が命を賭して孵し、育て、守るべきもの。
ご主人様の触手が蠕動し、瘤が少しずつ私の胎内へと近づきます。ご主人様によって入念に、丹念に耕され続けた私の肉体は、繁殖に際してもはや何一つ心配することはありません。卵を内に包んだ触手の径は、私が何も知らない宮原愛だったならばおまんこが裂けてしまう程のものでしょう。しかし、私の身体は肉瘤を難無く迎え入れ、柔らかな肉襞の締まりが我が子を特等室へと促します。
ずちゅり
触手の先端から、ご主人様の卵が私の子宮に産み落とされました。宮原愛が無為に過ごしていたような時間は、私にはありません。私は孕み袋。ご主人様の卵を孵し、仔を育てることが使命であり、幸福です。
数ヶ月後。私はご主人様と出会った眼鏡店を一人で訪れていました。
「予備のメガネのメンテナンスをお願いしたいのですが」
初めてのことですが、私の口は淀みなく文章を紡ぎます。ポシェットに入れたメガネケースには、よく育ち、ついに親離れをする我が子。
そのとき、応対してくれた店員のお姉さんのメガネが、ご主人様とは異なるけど、けれども同じ種類の煌めきを放ったのを目にしました。お姉さんならば、間違いなく私の子供に孕み袋をあてがってくれることでしょう。私があてがわれたように。