Report『意図的ディスコミュニケーション』
「トレーナー君、確か今週末は空いていると言っていたねぇ。まだ空いているようであれば、研究のため中山に行きたいのだが、同行してくれるかい?」
そんなことを言われたのは、トレーニング終わりのことだった。確かに3日ほど前に実験の予定合わせをした際に、今週末は特に予定も無く、家でだらだら過ごすつもりだと話した覚えがある。それから予定が新たに入ったわけではないので、私はタキオンに同行することにした。
思えば、これが大きな誤りだったのだ。ただ「中山レース場」に行くだけならば、タキオンがわざわざ同行を求めることはほとんど無い。しかし、ウマ娘に、レースに携わるものの習性として「中山」と聞いただけで早合点したのを、私はこの2時間後に後悔することになる。
ここのところ、トレーナー君に疲労の色が色濃く見えている。トレセン学園という教育機関所属のせいもあるのかもしれないが、年度末とその始めはやはり多忙なようだ。
トレーナー室で最近読んでいる本と机の上を見るに、処理すべき仕事はきちんと終えているようだが、新しい生徒の入学に際し、上手なコミニュケーションを取る自信が無い、といったところだろうか。
まぁ、私の担当になるためにあの色味の薬を3本飲む。と言うのは、私から見てもコミュニケーションが上手なタイプがする振る舞いには思えない。トレーナー君はそういったことを苦手とするタイプなのだろう。
さて、そうなると私としては些か困ったことになる。いくら研究の緊急性が落ち着いているとはいえ、ウマ娘の肉体と可能性の果てを追い求めるためには、私だけでなくモルモットも必要不可欠だ。しかし、トレーナー君があの調子では、休息を取るように進めたところで、むしろ担当に不調を悟られまいと更なる無理をする可能性がある。
ふと、月桂杯の前のことを思い出した。夏合宿の前、私のための研究から、私を用いた研究にシフトしようとしたあの時。トレーナー君は私の研究のためのモルモットになった上で、私の独断を笑って受け入れていた。そんな中でトレーナー君が纏めた資料を見た時、トレーナー君はトレーナー君なりに、私の勝利を望んでいてくれたことを知った。それは、他の学園教職員のアプローチとは随分と異なっていたが、誰よりも強く私のことを、私の勝利を、私の研究の完遂を想ってのことだったのだ。
そんなことを思い返しながら学園内を歩いていると、他の生徒とのすれ違いざまに、面白い話が聞こえてきた。
エイプリルフール。4月1日。嘘が許される日。
「……ふぅン」
脳裏で組み立てられた私のプランが、桜に攫われるトレーナー君の像を結び始めたのを自覚した。
タキオンがあらかじめタクシーを呼んでくれていたので、それに乗って近くの駅まで行って電車で中山に行く。そう思っていました。だからちょっと疲れていたし、タクシーで仮眠をとるから降りるときに起こしてくれとも言いました。
なんで、私は、目が覚めたら羽田空港にいるんでしょうか。
「トレーナー君に中山に行きたいから同行してくれと言ったじゃないか」
どう考えても学園から中山レース場に行くのに飛行機を使う必要はない。電車一本で行けるはずだ。抗議しようとすると、タキオンが封筒を渡してきた。
「トレーナー君のパスポートと航空券だ。短時間のフライトなのでミールの提供は無い。現地まで我慢したまえ」
え。ちょっと待って。なんでタキオンが私のパスポートを?そもそもパスポートってことは、国外?一体どうやって。
「あぁ、理事長に相談したら、『快諾ッ!是非見聞を深めて来たまえ!』と、立ち合いの下での職員寮への立入許可を貰えたからね。あとはトレーナー君のトレーナー室や練習時の癖を見れば、パスポートの保管場所くらいは分かるさ」
慌てて航空券に視線を落とす。
東京国際空港発、台北国際空港行き。台北!?
「せっかくのエイプリルフールだし、君が訝しんだら嘘の一つでも吐こうと思ったのだが、全く君は脇が甘すぎやしないかい?」
タキオンはなんだかぷりぷり怒っているが、本気でないのは知っているし、怒られる謂れがわからない。むしろ説明してほしいくらいだ。
「今回の目的地を鈍いトレーナー君に改めて説明すると、行き先は『台北市中山区』だ」
タキオンの担当になってから光ったり変色したり、おおよそ人間と人間以外の境目を反復横跳びしてきた自覚はあるが、この時の私の間抜けな顔は、おそらく『人間以外』に分類されるだろう。私の顔を見て笑い転げるタキオンを見て、そう思った。
「下一站,圓山(次は、円山)」
担当になって以来一度も見たこともない呆けた顔のトレーナー君と台北の松山空港に降り立ち、地下鉄を乗り継いで目的地に程近い圓山駅に着く頃。トレーナー君がようやく我に返ってなぜ台北に来たのかを聞いてきた。
私はどこから説明したものか逡巡しながら、改札のスリットに切符の役割を果たす青色のコインを押し込み、説明を始めた。
「台湾の原住民族は文字を持たないが、文化や記録の継承は口伝という形式によって行われてきた。しかし、その中にウマ娘に関連するものは皆無だ」
「これだけならば記録の欠落か、あるいはあまりにも身近で伝承の対象にならなかった可能性も否定できない。しかし」
駅から程なくして、台北でも有数の公園である花博公園の入口に辿り着く。私たちは日が暮れて尚、大井レース場のようにライトアップされる公園のゲートをくぐる。
「当時の行政機関の記録にも、日本統治時代初期の記録にも、台湾島にウマ娘の存在は記録されていない」
「おそらく遺伝的な何かだろう、ということは容易に想像がつく。遺伝的な何かがウマ娘の存在を阻むのであれば、それを知り、理解することはウマ娘の存在を押し拡げる可能性にもなりうる、という訳さ」
「ただし」
個人的な研究よりも先に、本来の目的地に辿り着き、私は足を止めた。
「まずはトレーナー君はご飯を食べたまえ!ここのところ色々と思い悩んでいるのは知っているが、若干やつれているぞ!」
公園内のフードコートが入る巨大なアーケードを目の前にして、トレーナー君のお腹が空腹を主張した。
台湾の料理は日本の美食家の間で人気というのを耳にしたことはあるが、こうして実際に食べてみると納得できる。常食するにはやや糖質と脂質が過多だが、普段作る料理に小鉢っぽく一品足せば、バランスよく食べられるかもしれない。
「ふむ、この海老とバジルを醤油で炒めた料理は美味しいねぇ」
タキオンが口の周りにちょっとタレをつけたまま気に入った料理を自分の小皿に盛っていく。私はタキオンの口周りをウェットティッシュで拭いてやりながら、今度タキオンのお弁当に入れてあげようと考えた。実際、醤油ベースの甘めのタレで絡め焼きにされた海老とバジル、そして唐辛子からなるこの料理は、自分でもびっくりするほどご飯が進む。自分の作るお弁当だと、おかずの味付けが少し優しめの味になることが多いので、メリハリをつけるのに採用するにはピッタリだろう。
同じテーブルに並ぶ牡蠣入りの卵焼きは流石にお弁当に入れてやるわけにはいかないが、この鶏肉とカシューナッツの炒め物あたりなら、野菜も一緒に炒めればタキオンのお弁当にちょうどいい。
まさか海外に来てまでタキオンのお弁当のレシピを考えるとは、数時間前の羽田にいた自分は思いもしなかったし、新たな学生とのコミュニケーションのことで思い悩んでいることを見抜かれ、心配されているとは知らなかったし、食事中にタキオンから聞いた話はトレーナーとしても興味が尽きない内容だった。
ウマ娘の誕生を遺伝的に抑制する可能性のある特質の可能性や、日本統治時代はこの公園内に台北レース場があり、その後温泉地である北投に新たなレース場が建設されたというウマ娘に関する文化史、戦後から今に至るまで漸減し続ける台湾のウマ娘の人口比率など、トレーナー試験でも扱わなかったような話がどんどんと出てくる。
こうしてタキオンによる講義と研究の付き添いに、週末から日曜夜までの3日を全力で費やし。
私はすっかり疲れ果てて月曜日に出勤する意欲を無くし、普段はしないポカをやらかしたのは、また別の話。